東光鉄工株式会社は、いち早く“脱鉱山”を志向し、その後プレス金型製造、精密加工分野に力を注ぎ、ハードからソフトへの充実を図るとともに、技術開発・研究開発にも傾注し、分社化した他の関連企業とともに“元気印の企業グループ”を目指して挑戦を続けております。
そこで、今回は虻川社長にいろいろとお話を伺いました。
※ 創業からの経緯についてお聞かせ下さい。
虻川 昭和13年、父が東光製作所を創業し、機械製作や修理業からスタートしました。
24歳の時に、家業を継ぐため、地元大館に戻ってきました。
昭和48年、東光鉄工(株)を設立した当時は、黒鉱開発ブームで、これまで大館と縁のなかった日本鉱業から、鉱山関係の機械や資材の下請けをやらせていただき、それが縁で次第に、同和鉱業や三菱金属からも仕事をいただけるようになりました。
苦労したことと言えば、会社設立の昭和48年に第一次オイルショックが起こり、大館松木鉱山が閉山、続いて、昭和53年の第二次オイルショックの時には釈迦内鉱山が閉山し、採鉱は全面ストップしてしまったことですかね。
当時、わが社の地元受注比率は70〜80%でしたので、いわば、経営方針の大転換を余儀なくされました。
このとき、ヒントを与えてくれたのは鉱山関係でお世話になっていた大先輩でした。“鉱山は、有限資源であるから、永遠には続かない”…。
この“黄金の一言”で、これまで培ってきた鉱山技術を全国のお客様に役立ていくことを思い立ち、営業地域を全国展開へと転換していきました。
幸いにも、わずか1年で小坂製錬所を対象とする鉱山比率20%、県外比率80%という逆転の比率に切り換えることができました。
その後、幾度かの分社化を経ながら産業機械の設計・製作、建築鉄骨、金型加工など、20業種以上に及ぶ多角経営を行っております。
※ 御社の経営方針についてお聞かせ下さい。
虻川 先ず、何よりも「お客様第一」という使命感。それと「従業員全員参加型の経営」、つまり従業員は、四半期ごとの経営発表会を通じて、会社の業績がわかりますから、“有言実行”で頑張っています。また、関連企業や事業部ごとに業績が発表されますから、成績次第で、従業員のボーナス査定に響くなど、従業員に対して悲喜交々の問題提起をしています。
あとは、技術・ノウハウのパイオニアを目指すことを経営方針としています。
※ 分社化された理由とグループ企業の総務部門を1社に統括された理由は何ですか。
虻川 要するに、会社を「何でも屋」にしたくなかったからです。
規模的に言えば、従業員30人以上になると収益が悪化するので、小規模がベストと考えたこと、首都圏と比べて、それなりのレベルにある人材がこういった地方においては限られていたこと、そして何よりも、それぞれの専門分野に特化していくことが最大の狙いだったからです。
総務部門の統括は(株)東光コーポレーションがその役割を担っております。各社の経理・総務部門を合理化させたいことと、この会社を総務関係のプロフェッショナル化させることによって、グループ企業の全従業員のサービスの一元化も図られると考えたからです。
※ 御社の専売特許「TOKOドーム」誕生の経緯と今後の展開について教えて下さい。
虻川 昭和63年から2年間、国・県からの事業(加速度的技術支援事業)認定を受けて、冷間鋼曲げ加工技術の研究開発を行い、建築鉄骨や橋梁を主体とする鋼構造物の設計・施工技術の基礎が出来上がりました。現在、CAD利用による3次元鋼構造物を得意分野としています。
TOKOドームは、この開発技術にヒントを得て、その後の技術研究によりアーチ状の建築物を作ることを発明し、平成8年、特許を取りました。
このTOKOドームの特徴は、曲面体で構成されるため、軽量でありながら強度は高く、しかも柱がないので有効なスペースを確保でき、また、どのような大きさにも対応できる点です。
現在、TOKOドームの製作してくれる提携工場を年内2〜3ヶ所指定し、全国展開しようと考えています。
気になる開発費用ですが、この研究開発は平成3年、儲かっているときに1億円をかけて行いました。
余裕のある時しかできないですからね。(笑い)
その時、新規研究開発をしている会社があるということで国(通産省)や秋田県が注目し、支援していただました。これがプラスに働き、その後もさまざまな研究開発を行い、“ドーム冷凍庫・冷蔵庫”ほか多数を商品化しています。
※ 御社のソフトウェア開発の経緯と今後の展開について教えて下さい。
虻川 小学校の時から、電気関係が好きで、いろいろな工作をやり、中学生のときには真空管ラジオを作りました。そのせいか、コンピュータ導入にもそんなに時間はかからず、抵抗なく、コンピュータ化を進めてきました。
ハードを導入する際、大手の2社に絞られ、いずれソフト開発は自社でやりたいので、環境が整備されたら、自社で開発したソフトを買ってくれるよう条件をつけました。条件を飲んでくれたのは、富士通でした。残りの1社は各地に販社をもっていたので、このような条件は飲めませんでした。
富士通との営業協力、つまり特約店方式で、実際、わが社で開発した健康診断用や医療保険用ソフトを聖路加病院や多摩ガンセンターなどの医療機関に納入させていただいたのをはじめ、全国の自冶体や学校教育用ソフトも開発し、販売しています。
また、森林組合業務用ソフト(商品名“樹海”)を地元の大館森林組合のために作成しましたが、これが県内、そして青森県、岩手県内の森林組合にも広がり、現在、これも富士通販売網で全国販売しております。
※ 秋田県北部エコタウン構想への取組みについてお聞かせ下さい。
虻川 県北部エコタウン構想では、テレビ・冷蔵庫・洗濯機・エアコンなどを再資源化する“秋田県リサイクル・マイン・パーク事業”やRDF発電事業、大館市コンポストセンターで事業系生ゴミ等をコンポスト化し、地域農業へ還元していく事業などをこの構想の中核事業としております。
これまで培ってきた鉱山技術をいろいろと組み合わせいくと、これら中核事業に伴う仕事が出てきますし、また、実現のために誘致企業が出てきますから、そこからも仕事が生まれます。
こうして県北全域が活性化し、発展するよう、わが社もその一役を担っていきたいと考えております。具体的には今後、環境プラント設備(コンポスト)関連で、そのお手伝いをしていきたいと考えています。
※ 企業間交流についてのお考えをお聞かせ下さい。
虻川 私がかねがね考えていることは、“木造住宅がよい”と言えば、すべて木100%を使いそうですが、実は、そういう意味ではないと思います。
鉄:コンクリート:木=30:30:30といった割合で、適材適所にこれらを使って家をつくれば、コストの面でも、耐久性・快適性など機能性の面でもすばらしい家ができると思います。
官公・民需を問わず、こういった発想をもって、設計発注したらいかがでしょうか。
何も、業界同士で敵対意識を持つ必要はないと思います。例えば、高気密住宅をつくろうという共通認識ができれば、それに向かって企業間交流や企業連携がなされ、今まで思いもつかなかったような斬新な発想やアイディアも生まれる訳で、それがひいては、お互いの業界の活性化や発展に結びついていくのではないでしょうか。
※ 中小企業組合についての考え方についてお聞かせ下さい。
虻川 近年、県北地方の組合数は減ってきています。地元企業の業績が、伸びていないからです。
地元企業は、与えられた事業だけを行うという消極的な要素が強く、自分から進んで何かをやろうというのが少ないと思います。
何かをやろうとすれば、資金が必要となる。
そのために、借金ということになるが、借金はしたくない。したがって、現状維持志向型となる訳です。
そこで、新規事業の展開や新製品開発などに積極的な企業に対して、経営情報・ノウハウを提供したり、企業活動を総合プロデュースしてくれるような役割を、企業側は組合に求めています。
中央会さんでも、企業交流課というセクションで、こうした企業活動のプロデュースやコーディネート役を務めているようですので、今後とも、ご支援をお願いしたいと思います。
※ 今後の抱負についてお聞かせ下さい。
虻川 先にもお話しましたが、分社化により企業の一層の連携と活性化を図るとともに、グループ間の指揮命令機能をさらに強化していきたい。
また、従来から持っている「TOKOドーム」、「ドーム冷凍庫・冷蔵庫」等のパテントを活かしながらも、“IT革命”を念頭に置いたソフト面の充実を図り、より付加価値の高い企業経営を目指すとともに、自社製品元請比率を大幅に向上させて参りたいと考えております。
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