新春経営特別講演会
「歴史に学ぶ日本の将来」
講師◇作家 井沢元彦 氏



 本会では経営者・幹部の方々へ経営戦略を策定していく上で、その一助となればと一流の講師をお招きし、トップセミナーを開催しております。
 今年度は、去る2月8日(金)秋田市においてテレビなどマスコミでも人気の高い作家の井沢元彦氏をお迎えし、盛大に開催しました。



講演のあらまし
 かって、元(モンゴル)帝国は世界最強の国家であり、朝鮮半島や東ヨーロッパまで征服したがその破壊力の中心は騎兵力であった。四方を海に囲まれた日本だけは助かった。つまり近代以前は陸続きのところは非常に攻めやすく、逆に日本は周りが海に囲まれており外国の侵略には、ほとんど心配がいらなかった。そうした認識を黒船は180度転換させた。このため明治の政策目標の一つは海軍の創設であった。つまり欧米列強に負けないだけの海軍を作って日本を防衛するということでした。

 今、日本は何故平和ボケかというと、前の時代が軍隊が幅を利かした時代だったからです。軍隊さえ強ければ、世界中のあらゆる問題を解決できるという錯覚に陥った。これが錯覚であるということが昭和20年の敗戦で知らされた。そしたら今度は軍備なんか一切いらない、経済だけでいいということになった。しかし、どこの国でも政治は軍事、外交、経済というバランスをとって行っている。

 バランスを無視したツケが今の日本にさまざまな影響をもたらしているといってもいい。日本人は戦争に負けて多くの人を失い、アジアの諸国にも迷惑をかけたという痛切な思いがあるものだから軍隊というのは悪いものだという思いがある。しかし、我々はもっと現実を見つめ直す必要がある。

 防衛ということを真剣に考えた先人に徳川家康がいます。彼はロマンチストではなくリアリスト=現実主義者です。戦国時代をくぐり抜けてきた人であり、理想を実現するためには現実を無視してはいけないということを非常に強く思っていた人であった。江戸の創成期は、具体的には戦国時代が終わったばかりで、人々が平和を求めていた時代でありますが、家康は寺や神社を作って祈りを捧げ平和を願うというより、内乱防止のために九州から江戸まで山陽道にたくさんの城をつくって当時の「仮想敵国」であった薩摩、長州に備えるという現実的な戦略をとった。又、仮に徳川家が滅ぶとすれば武力だけではなく、薩長をはじめとした諸大名が朝廷と手を組んだときと考え、徹底的にこうした動きを排除した。

 しかし科学の進歩・技術革新で、それまでの前提が一変した。つまり黒船に象徴される技術革新でそうした防衛線は無力化され、逆に周りが海という日本は世界で一番無防備な国となってしまった。

 日本という国は江戸時代は技術があったにもかかわらずその技術の進展を抑えた。これ以上競争社会もいらない。戦いはこりごりだはいいんですが、道具はつくらせない、発達を妨げ、新しい工夫は禁ずるということをした。江戸時代は人も物も交流を許さない典型的な規制社会だったわけですが、幕末の頃は開国を迫る諸外国の要請に政策判断を先送りし続けた結果、日本は袋小路に陥った。国内のさまざまな規制にもいろいろとほころびが生じるようになった。それを解決するためにも維新が必要であったといってよい。

 アメリカは元々領土的野心を持っていて虎視眈々と日本を狙っていた。だから黒船がきたと思ったらそれは間違いです。アメリカが日本に何を求めてたかというと開国です。領土的野心でなく日本の港を使わせて欲しいということだった。そこでモリソン号という民間船を使節として送った。それを日本は大砲を撃って追い返した。次は門前払いです。それでアメリカは怒った。野蛮人には野蛮人のやり方でということで今度はペリーが来た。ペリーはいきなり江戸湾に深く入り込み、わかりやすくいえばいきなり玄関に上がり込んでドスを突きつけた。それで日本は腰を抜かして何事もアメリカ様のおっしゃるとおりにしますということになった。

 最初アメリカが頭を下げて開国のお願いに来たときに黒船の技術を学ぶとか他国の侵略から守ってもらうとかいろいろ要求できたのに問題を先送り又は、判断を避けた。このため日本は何も得ることができなかったが、アメリカは大いなる成果を上げた。

 アメリカの外交官のテキストには当時は多分こう書かれたと思う。最初のモリソン号で平和外交をして失敗した。ペリーでうまくいったということは、日本人というのは下手に出たり丁寧に礼を尽くしてお願いしてもダメだ。脅すのが一番だと。アメリカの姿勢はものすごく強硬でしょう。アメリカの外交はことごとく日本に強硬姿勢をとったときに成功しているんですね。しかし、その後日本は真珠湾をやった。脅すのが一番ではあるが、やりすぎると真珠湾があるから気をつけろという姿勢になっている。

 日本は今、かってない不況のどん底で、必死に構造改革に取り組んでいる。失われた10年を経験した現在でも立ち直れずにいるが、健全な日本を取り戻すためには問題を先送りしない、そして既得権の見直しの徹底など国の方向を的確に明示することは為政者の責任であり、務めでもある。規制緩和の過程では大きな痛みも伴うが、これを避ければどうなるかは歴史が証明しているところである。

 最後に、井沢氏は、歴史は全体が繋がりであり、日本には断片的に歴史の一部分に対するスペシャリストはたくさんいるが、全体を見られるゼネラリストが少ないことを嘆きながら、皆さんはこういうことの無いように大きな見地で歴史に学んでいただきたいと語り話を結んだ。



講師プロフィール
出身
 愛知県名古屋市(S29.2生)

略歴
 昭和52年
  早稲田大学法学部卒業・東京放送(TBS)入社
 昭和55年
  報道局放送記者時代(昭和55年)「猿丸幻視行」にて
  第26回江戸川乱歩賞受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓いた。
 昭和60年
  TBS退社。執筆活動に専念

 平成4年から約1年、NHK「日本史発見」でコメンテーターとして活躍、脚光を浴びる。
 現在、時代ミステリー、歴史小説、SF小説、歴史ノンフィクションと幅広い分野の執筆活動を行っている。

主著・近著
 「歴史の嘘と真実」「シリーズ-逆説の日本史」「洛陽城の栄光—信長秘録—」「本能寺焼亡」「野望」「天皇になろうとした将軍」「言霊の国」「解体新書」「虚報の構造」「オオカミ少年の系譜」ほか



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